対岸の彼女/角田光代 を読んで

対岸の彼女/角田光代

今、いじめや人との関わりに悩む方々に読んでもらいたい。
人と向き合うことが怖くなくなるかもしれない。
今最も好きな小説家の角田光代さんの「対岸の彼女」
文庫待ちに耐えられず、古本屋で購入し、少しずつ読み進めました。

女性が女性を区分けするのは窮屈だ

以前見た角田さんのインタビュー、
「女性が女性を区分けするのは窮屈だ」の中で
・30代女性の友達関係の難しさ
・歳を取れば取るほど、女性が女性を区分けしている
・働く主婦と専業主婦のバトル
・女性同士の棲み分けができている
などと角田さんが語られていました。
立場的には私は「働く主婦」なのですが、ニュートラルな位置にいるため、いろんな立場の人と関わっていられるのかもしれません。
でも、この棲み分け、確かに強く感じますね。

カーストみたいな理不尽な順位

そのインタビューの内容に興味を持って読み始めたのですが、
私の心に一番残ったのは、主人公の一人、葵の高校時代での出来事。
断続的ないじめからはじまり、次第に積極的にいじめをしていた派手なグループが、いわばカースト上位に位置していて、一度カースト最下位になった(いじめ対象となった)生徒は、なかなかその地位から抜け出せず、かつてのようにいじめられることはなくなったが、使い走りをさせられたり、無視・からかいの対象となっていた。
この事に対して葵の友人「ナナコ」は
何もかもがのっぺりしている。
毎日、光景、生活、成績、全部のっぺりしてるから、いらいらして、カーストみたいな理不尽な順位をつけて優位に立ったつもりにならなきゃ、みんなやっていられないんじゃないかな。
と、葵に話します。
コレ!と思いました。

棲み分けをし、他者を排除すること

教科書で習った「カースト制」は悪いものだと学んだような気がします。
今はなくなった「カースト制」、でも今でもそれは残っているんですよ、なんて、「悪いこと」のように教えてもらったような気がします。
でも、私が訪れたインドでは「カースト」を悲観する人に出会うことはありませんでした。
むしろ、自分の生きる道を真直ぐ生きている人たちばかり。
のっぺりしていて、自分が誰かより優位に立っていることを確認しないと不安な日本の現代だから、棲み分けやいじめが発生しているんだ、と。
「差別化」することで自分の存在価値を認めているのかもしれません。
(もちろん、カーストによる差別が正しいとは思いません。)
いじめ問題を語っている親たちが
棲み分けをし、他者を排除することで、
子供に「いじめ」を教えているのかもしれません。
親だけでなく、社会全体が教えているのでしょう。
対岸にいる彼女とは、決して同じ立場に来ることのできない存在なのではなく、同じ場所にいなくても、友達として一緒にいなくても、いつもお互いを分かり合う大切な友達であり、
立場が異なる存在でも、同じ岸に立つことができるんだと、教えてくれたような気がしました。
読み終えて、とてもすがすがしい気持ちです。